アジア|カザフスタン共和国

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  • 国名
    カザフスタン共和国 / Kazakhstan
    首都
    アスタナ
    国旗 世界地図
  • 地図
注釈)各ランキングは、参照元データを集計し、独自に算出したものであり、元となるデータの違いにより、国、その他企業・団体などが行ったランキングや調査と内容が異なる場合があります。
  • イメージ写真 アスタナの「バイテレク」
  • イメージ写真 ゼンコフ正教会
  • イメージ写真 トゥズバイル塩湖

その他の情報

民族 カザフ系(65.52%)、ロシア系(21.47%)、ウズベク系(3.04%)、ウクライナ系(1.76%)、ウイグル系(1.44%)、タタール系(1.18%)、ドイツ系(1.06%)、その他(4.53%) (2014年:カザフスタン国民経済省統計委員会)
言語 カザフ語が国語。(ロシア語は公用語)
宗教 イスラム教(70.2%)、ロシア正教(26.3%)、仏教(0.1%)、無宗教(2.8%)、無回答(0.5%)(2009年:カザフスタン国勢調査)
識字率 データなし
政体 共和制
議会 二院制 (上院:セナート(定員47名、任期6年(3年毎に半数改選))、下院:マジリス(定員107名、任期5年))
主要産業 鉱業、農業、冶金・金属加工
通貨 テンゲ(Tenge:1993年11月15日導入)
略史
14世紀 / 14世紀頃まで、現在のカザフ人とほぼ同じ人種的特徴と、カザフ語とよく似た言語が定着
15世紀 / 15世紀後半、遊牧ウズベク国家から分離し、キプチャク草原(カザフスタン)に勢力を拡大。カザフ・ハン国の成立
18世紀初 / ジュンガルとの戦いの中でカザフ人の一体性の意識が明確化
18世紀初 / 大ジュズ、中ジュズ、小ジュズの三つの部族連合体に分裂
1730年代 / カザフの支配層の一部がロシア皇帝に臣従
18世紀中頃 / 清朝にも朝貢
1820年代 / 1820年代まで、ロシア帝国、南部を除くカザフスタンを直接支配下に収める
1837年 / 1837年〜1847年、ケネサルの反乱(カザフ人による対ロシア反乱)
1850年 / 1850年〜1860年代、カザフスタン南部がロシア帝国に併合、カザフスタン全域がロシアの支配下に(ロシア人農民の大量植民)
1920年 / ロシア連邦共和国の一部として「カザフ(キルギス)自治ソビエト社会主義共和国」成立(首都オレンブルグ)
1924年 / 中央アジアの民族・共和国境界画定により国境線の変更
1925年 / 首都をオレンブルグからクズィルオルダに移し、国名を「カザフ(カザク)自治ソビエト社会主義共和国」に変更
1929年 / 首都をアルマティ(アルマ・アタ)に移転
1936年 / ソ連邦を構成するカザフ・ソビエト社会主義共和国に昇格
1986年12月 / 12月1日、アルマ・アタ事件(カザフ人共産党第一書記コナエフ解任に抗議するデモに対し、内務省軍と警察による弾圧)
1990年4月 / 4月24日、ナザルバエフ大統領就任
1990年10月 / 10月25日、共和国主権宣言
1991年12月 / 12月10日、国名を「カザフスタン共和国」に変更
12月16日、共和国独立宣言
1997年12月 / 12月10日、首都をアルマティよりアクモラ(現アスタナ)に移転
出典:外務省ホームページ(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/

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