アジア|東ティモール民主共和国

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  • 国名
    東ティモール民主共和国 / Timor-Leste
    首都
    ディリ
    国旗 世界地図
  • 地図
注釈)各ランキングは、参照元データを集計し、独自に算出したものであり、元となるデータの違いにより、国、その他企業・団体などが行ったランキングや調査と内容が異なる場合があります。
  • イメージ写真 東ティモールの伝統的家作り
  • イメージ写真 ジーザス・バックサイド・ビーチ
  • イメージ写真 ファツカマ岬のキリスト像

その他の情報

民族 テトゥン族等大半がメラネシア系。その他マレー系、中華系等、ポルトガル系を主体とする欧州人及びその混血等。
言語 国語は、テトゥン語及びポルトガル語。実用語に、インドネシア語及び英語。その他多数の部族語が使用されている。
宗教 キリスト教99.1%(大半がカトリック)、イスラム教0.79%
識字率 データなし
政体 共和制
議会 一院制(任期5年)(議席数65) 政党名 議席数 与党(40) ティモール再建国民評議会(CNRT) 30 民主党(PD) 8 フレンティ・ムダンサ 2 野党(25) 東ティモール独立革命戦線(フレテリン) 25 計 65
主要産業  農業が主要な産業(多くは零細農業。コメ、とうもろこし、イモ類、ココナッツ等を栽培)。輸出用作物としては特にコーヒーの栽培に力を注いでいる。石油・天然ガス(ティモール・ギャップ)の開発が貴重な国家財源として進められている。
通貨  米ドル、ただし、1米ドル以下については独自の「センタボ(centavo)」貨を使用(米セントと同貨)。
略史
16世紀以前 / リウライ(王)が割拠し、王国が乱立。
16世紀前半 / ポルトガル、東ティモールに白檀を求めて来航、ティモール島を征服。
17世紀半ば / オランダ、西ティモールを占領。
1701年 / ポルトガル、ティモール全島を領有。
1859年 / リスボン条約で、ポルトガルとオランダの間でそれぞれ東西ティモールを分割。
1942年 / 日本軍、ティモール全島を占領。
1945年 / 第2次世界大戦終了後、ポルトガルによる東ティモールの支配が回復(西ティモールはインドネシアの一部として独立)。
1974年 / ポルトガル本国でクーデターが発生し、植民地の維持を強く主張した旧政権の崩壊に伴い、東ティモールで独立の動きが強まる。
1975年 / 独立派(フレテリン等)と反独立派の対立激化。フレテリンが東ティモールの独立を宣言した後、インドネシア軍が東ティモールに侵攻し制圧。
1976年 / インドネシア政府、東ティモールを第27番目の州として併合を宣言。
1991年 / 11月、サンタクルス事件発生(インドネシア軍による独立派虐殺事件)
1998年 / 5月、スハルト・インドネシア大統領が退陣、ハビビ副大統領が大統領 に就任。インドネシアは、東ティモールの独立容認へ方針転換。
1999年 / 6月11日、国連安保理は国連東ティモール・ミッション(UNAMET)設立を決定。8月30日、独立についての直接投票が実施されたが、投票直後から、独立反対派の破壊・暴力行為が急増し、現地情勢は急激に悪化。これを受けて、国連安保理は多国籍軍(INTERFET)の設立を決定。10月20日、インドネシア国民協議会は東ティモールからの撤退を決定。国連安保理は国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の設立を決定。
2002年 / 4月14日、大統領選挙実施、グスマン氏が当選。
5月17日、国連安保理は国連東ティモール支援団(UNMISET)の設立を決定。
5月20日、東ティモール民主共和国独立。
2005年 / 4月28日、国連安保理は国連東ティモール事務所(UNOTIL)の設立を決定。
2006年 / 西部出身の国軍兵士による差別待遇改善要求のデモをきっかけに、治安が急激に悪化。15万人に上る住民が国内避難。政府の要請を受けて、豪、ポルトガル、NZ、マレーシアが国際治安部隊を派遣。国連安保理は、国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)の設立を決定。
2007年 / 4月9日、大統領選挙実施(5月9日、大統領選挙決選投票実施、ラモス=ホルタ前首相が当選)。
6月30日、国民議会選挙実施。
2008年 / 2月11日、ラモス=ホルタ大統領及びグスマン首相襲撃事件発生。ラモス=ホルタ大統領重傷を負う。
2月12日、非常事態宣言発出(5月8日、非常事態宣言解除)。
2009年 / 5月、UNMITから東ティモール国家警察への警察権限移譲開始(2011年3月、全13県で移譲完了)。
2010年 / 4月7日、国づくりの基本となる中長期開発計画「戦略開発計画」(SDP)の概要を発表(2011年7月15日、正式発表)。
2011年 / 8月20日、政府は東ティモール国軍の前身となるゲリラ組織「ファリンテル」の動員解除式典を実施。
2012年 / 2月23日、国連安保理はUNMITのマンデートを2012年12月31日まで延長することを決定。
3月17日、大統領選挙実施(4月16日、大統領選挙決選投票実施、タウル・マタン・ルアク前国軍司令官が当選)
5月20日、独立10周年記念式典及び大統領就任式典
7月7日、国民議会選挙実施(グスマン首相の続投が確定)
8月8日、第5次立憲政府発足
12月31日、マンデートの終了により、UNMITの任期が満了
2013年 / 11月11日、グスマン首相が2015年に引退する旨表明
2014年 / 7月23日、ディリにてポルトガル語圏諸国共同体(CPLP)サミットを開催
2015年 / 2月5日、グスマン首相がルアク大統領に辞表を提出。
2月9日、ルアク大統領がグスマン首相の辞表を受理し、これを正式に発表。
2月11日、大統領府は第6次立憲政府閣僚名簿を発表。
2月16日、就任式にて、アラウジョ新首相率いる第6次立憲政府が発足。グスマン前首相は、指導大臣兼計画・戦略投資大臣として内閣に残留。
出典:外務省ホームページ(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/

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